大相撲の元横綱・曙太郎氏死去

大相撲の元横綱・曙太郎氏が4月上旬に心不全で死去したことを日本相撲協会が発表した。54歳だった。

曙氏は1988年の春場所で初土俵を踏み、1992年夏場所で初優勝し場所後に大関昇進。1993年初場所で2場所連続優勝を果たし、第64代横綱に昇進し、若乃花・貴乃花らとしのぎを削った。

2001年初場所で引退後、東関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、その後格闘家に転身し、プロレスなどのリングに上がっていた。
7年前に北九州市で倒れてからは、東京近郊の病院で闘病生活を続けていたという。

4月21日

大谷翔平選手が大リーグ通算176本目のホームランで日本人最多に

米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手が本拠地でのメッツ戦で大リーグ通算176本目のホームランを打ち、元ヤンキースの松井秀喜さんの175本を抜いて日本選手単独最多になった。

2018年にアメリカン・リーグのエンゼルスでデビューした大谷は、21年のシーズンから3年連続で30本以上の本塁打を記録。23年は44本塁打で日本勢初の本塁打王(アメリカン・リーグ)に輝いた。7年目の今季はナショナル・リーグのドジャースに移籍した。

ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去

さまざまな困難に遭いながらも挑戦を続ける姿が反響を呼び、ファーストアルバム、『奇蹟のカンパネラ』がクラシック界では異例の大ヒットとなった、ピアニストのフジコ・ヘミングさんが死去。

フジコ・ヘミング財団によると、フジコさんは去年11月に自宅で転倒してけがをしたあと、ことし3月にはすい臓がんと診断され療養してたが、先月21日に92歳で亡くなったとの事です。

フジコ・ヘミングさんはスウェーデン人の父と日本人の母との間に生まれ、ピアノ教師の母の手ほどきで5歳からピアノを始め、17歳でピアニストとしてデビュー、東京芸術大学を卒業後は28歳でドイツに留学し、ヨーロッパを拠点に活動するなど、早くから才能を見せた。しかしその後、かぜをこじらせ一時耳が全く聞こえなくなるなど、ピアニストとして不遇の時代を過ごした。

帰国後、フジコさんの波乱に富んだ人生と再起にかける日々を追った25年前(1999年)のNHKのドキュメンタリーが大きな反響を呼び、同じ年に出したファーストアルバム『奇蹟のカンパネラ』は200万枚以上を売り上げ、クラシック界では異例の大ヒット。60代の遅咲きのピアニストとして「フジコブーム」が起きた。

4月23日

札幌冬季五輪、スキー・ジャンプ金メダルの笠谷幸生さん死去

1972年の札幌オリンピックのスキージャンプで日本選手が表彰台を独占した「日の丸飛行隊」のひとりで、金メダルを獲得した笠谷幸生さんが4月23日に札幌市内の病院で亡くなった。80歳

冬のオリンピックで日本勢初めての金メダル獲得という偉業で、銀メダルの金野昭次さん、銅メダルの青地清二さんとともに日本選手が表彰台を独占したその姿は「日の丸飛行隊」として語り継がれている。

4月26日

デザイナーの桂由美さん死去

日本のブライダルファッションの先駆けで、世界的に知られたデザイナーの桂由美さんが26日に死去した。94歳だった。

桂由美さんは東京に生まれ、大学卒業後にフランスに留学しデザインや縫製の技術を学んだ。
その後、1965年に東京 赤坂に日本で初めてのブライダル専門店をオープンし、日本初のブライダルショーを開催した。
当時は、一般的ではなかったウエディングドレスを浸透させ、女性のシルエットを美しく引き出すドレスで日本の結婚式のスタイルにも強い影響を与えてきた。
また、1980年代からはニューヨークやパリなど世界の30以上の都市でショーを開いて活動の場を広げ、日本を代表するファッションデザイナーとしての地位を築いた。

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