自由主義社会の終焉

ロシアがウクライナに攻め込んだ!

ほとんどの専門家が「無いであろう」と考えていたことが起こってしまった。

今考えてみると、「無いであろう」は裏を返せば、

「もしそんなことが起こってしまったら、どうすることも出来ない。だから起こらないはず」というのが本音だったのではないだろうか。

表面的に非難したり、経済制裁をしたりはしているが、どれも有効ではないように見える。

これらの事情を十分に理解して、ロシアは動いたのだろう。

だからどこかの元大統領が、この行為を「賢い」と評したりするわけで、それはわからないでもない。

その中で、どんどん大きくなってくるウクライナ国民の悲惨な声。

「私たちはロシアを攻撃していない」「平和に暮らしたいだけなのに」

こう叫んで、自由主義社会の仲間に助けを求めている。

ところが、、助けを求められた方はこう返すだけ。

「ロシアはひどい、皆で非難するからね」「頑張って耐えてね」
「でも、直接助けにはいかないよ」

ちょうど、一人の青年が一方的にチンピラから殴られている状況で、まわりから「がんばって、負けないで!」と応援しているようなものではないか。

この状況を見るにつけ、心底恐ろしさを感じた。

国際社会(自由主義社会)というものは、どんなに不当な扱いを受けても、ちゃんと助けてくれるとは限らないんだ。
最終的には、力さえあれば、何でも出来るんだ。

と。

もちろん、ロシアにもいろいろ言い分はあるのだと思う。
ウクライナ側にも、いろいろ非があるのかもしれない。
だから、この時点では簡単に正義がどちらにあるなどとは言えないことははっきりしておかなければならないと思う。実際に、ロシアへの制裁に反対する国もかなりある。

でも、しかし、

仮にどちらが正しいとしても、人を殺す事、特に多くの民間人の命を奪う事は、その時点で「悪」なのではないだろうか?
軍隊が攻め込んで市民の命を奪った時点で、「問答無用で 100% 悪」 というのが、多少きれい事の部分はあっても、自由主義社会ではもっとも基本的な思想のはずだ。仮にこれを守らなければ、すべてが崩壊していくのではないか。

そのような 「悪」に対して、助けを求められても何もできないのであれば、自由主義はすでに終わったと考えざるを得ないように思う

今のままの状態が進めば、「次も弱いどこかの地域が大きな力に狙われる。そして今の事態を肯定している勢力に支配されるようになるだろう。

それを避ける唯一の方法は、この状況を作った首謀者に、いかに強く「やらなければよかった」と思わせる事が出来るかにかかっていると思う。
識者の論調の中には、当事者たちの気持ちはおいて置き、とりあえず首謀者の顔を立てて、できるだけ穏便に~ などという人もいるが、それには大いに?を感じる。

このままでは今後、「やはり核兵器は持ってないと国が危ないよね」という考え方があたりまえになり、誰も否定できなくなってしまうと思う。そして核兵器の配備、開発がどんどん進みだす。果たしてそれは、人類にとって何を意味するのだろうか?

おすすめの記事